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::関西道路研究会の歩み
沿     革
 昭和5年6月14日、大阪市立工業研究所において、大阪付近道路関係者懇談会が開催され、これを契機として同年8月28日、同所において関西道路研究会発起人総会が開催され会則等が審議された。そして同年12月6日、大阪市立工業研究所において関西道路研究会創立総会ならびに講演会が開催され、「関西道路研究会』が設立され、以後、活発な調査研究活動を続けてきた。しかし、昭和14年、時局の赴くところ、各地にあった「東京道路研究会」、「名古屋道路研究会」及び「関西道路研究会」は解消し「日本道路技術協会」を設立、「関西道路研究会」はその関西支部となった。
 その後、戦況の進展と共に、研究活動も一時は衰退し終戦を迎えた。昭和22年6月、「日本道路技術協会」と「道路改良会」とが合併し、「日本道路協会」が設立されるとともに同会会則により関西支部は自然消滅となった。
 そこで、昭和23年8月、日本道路技術協会関西支部の解散式を開催、その席上過去における関西道路研究会の業績を想い、また、都市街路施設の特異性を考慮して、名古屋、京都、大阪、神戸の各都市をはじめその付近の都市並びに学会及び事業関係者により「関西都市道路研究会」の設立の議が提唱せられ、一同異議なく賛成となったのである。準備期間を経て、昭和24年10月1日、大阪中之島中央公会堂において「関西都市道路研究会」の設立総会が開催され、ここに新生の研究会が設立されたのである。会の名称を「関西都市道路研究会」とし、都市道路に限定したのは、当時、戦災都市の道路問題が緊要な調査研究課題となっていたためである。
 その後、我が国の経済復興に応じ、地方幹線道路や高速自動車道の建設機運が高まり、本会の調査研究課題も都市道路に限定されるべきではないとの内外の要請が強くなった。そこで、昭和35年6月開催の第20回総会において「関西都市道路研究会」は、「関西道路研究会」に名称変更し、今日に至っている。
 平成時代に入り、バブル崩壊とともに当研究会の活動もその影を写し、平成20年3月31日には残念ながら名古屋支部が解散となったが、現在も京阪神の3都市を中心に学界や道路業界と共に活発な研究活動が続けられている。
 かくして関西道路研究会は、昭和5年に設立された往時の研究会の良き伝統を継承し、新生後の新しい実績を積み重ねて、昭和24年から数えて60余年、昭和5年から数えれば、実に80余年の歴史を湛えるものである。

昭和35年6月
関西道路研究会と改称、現在に至る。
昭和24年10月
関西都市道路研究会創立
(この時点をもって、関西道研究会の創立とする)
昭和23年6月
日本道路協会の設立に伴い、下記関西支部が解散
解散式の席上、関西都市道路研究会の設立が提唱される。
昭和14年2月
日本道路技術協会関西支部となる。
昭和5年12月
(旧)関西道路研究会創立
 

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